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12月3日
夜十時に山田詠美さんから電話があった。 このチャーミングな女流とは、俺はほぼデビューが同じだったこともあって、仲良くしているのだが、それはほとんど精神的なことで、電話も滅多にないし、お目にかかることだって十年間もなかった。
すぐ近くの西荻窪で呑んでいるから、着替えたりせずに、そのままの格好で来いと、俺の可愛い女王様はおっしゃる。
時間が時間だったから、俺は部屋着にしているジーンズのオーヴァーオールのまま出掛けていった。
これでペンキの缶をぶら提げて、ブラシを持てば、パトロールのオマワリさんは俺のことを、爺いのペンキ屋だと思うのに違いない。 ペンキを溶くのにシンナーが欠かせないので、俺はこんな格好でいると、すぐ刑務所の木工場で散々やったあの陶酔を思い出す。
「こんないいもんだとは、この歳になるまで知らなかった。娑婆に戻ったら女学生から取り上げて、毎日これをやろう」
なんて、四十歳だった俺は思ったものだが、いざ出所するとそんなことはケロリと忘れて、二十年以上も嗅ぎはしない。
ないから嗅がないのではなく、あっても嗅ごうともしないのだ。
懲りたわけでは決してない。
娑婆にはシンナーよりずっと素敵なものが、数え切れないほどあったからだ。
何年経っても詠美さんは、アトラクティヴで綺麗な方だった。
家に帰ったのは三時半だったので、詳しいことは明日、書くことにする。
12月4日
詠美さんは焼酎を旨そうに召し上がり、俺も同じやつをグビグビ呑み続けた。
詠美さんは俺が小説を書かなくなったことを、「お書きなさいよ。お酒ばかり呑んでないで」と、おっしゃってくれる。
「原稿依頼がないんだ。あれば書くさ、小説家だもん」
と、俺は我ながらショボイことを呟く。
「わたしは最初から若い編集者を育てたけど、あなたはブームに浮かれてそれをしなかったのね」
そして二十年経ったら、才能のある編集者たちは、老いたり偉くなったりして、皆居なくなったのだと、詠美さんは喝破する。
そして今、詠美さんは日本一の女流で、文学賞の選考委員をしていて、俺は小説の原稿依頼が絶えてショボくれたことを呑んではぼやいているのだ。
詠美さんは、近くに住んでいる若い編集者を、呑んでいたバーによんでくれる。
まだ三十には間のあるキリリとした青年だった。
「あ、詠美さんは同情したんじゃなくて、惚れてたんだな」
と、俺は思うことにしたのだから、爺いは生きるコツを酔っ払っても心得ている。
雑誌の年末進行に追われている間に、毎年のことだがお正月が近づく。
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