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第105回 『毒蛇、鱶、茨城三号』 |
怖いものは他人様と同じ“地震・雷・火事・オヤジ”だけど、嫌いなものはちょっと違う。 百足は平気だけど蛇は大嫌いだ。舌の先が二つに割れているのがゾッとするし、毒のある奴は俺にとって、ほとんど北の将軍様と同じレベルにある。 死ぬのは仕方のないことと諦めているけど、なぶり殺しにされるのと喰い殺されるのだけは御免だ。 ヒグマもライオンも嫌だが、鱶に喰われるのは思っただけで身の毛がよだつ。鱶のヒレは食べたくても我慢するし、熊の胃は要らないから、ヒグマと鱶は絶滅させるのがいい。 茨城三号というのは、昭和二十年代の不味い薩摩芋だ。農林一号も食用ではなく、アルコール原料だったのだとお百姓に聞いた。それをアルコールにしないで、蒸かして食べたのだから旨いわけがない。 俺は「昭和十八年から二十六年までの八年間で、一生に食べる四十八倍も二百五十六倍も、農林一号と茨城三号を食べたから、もう薩摩芋は食わない」と、金を払えばカツ丼でもハヤシライスでも、何でも食べられるようになった昭和三十年頃宣言したのだが、しかし最近の薩摩芋は驚くほど旨い。 十年ほど前に、女学生が食べていた石焼き芋を半分わけて貰ってギリで喰ったのだが、これが食道痙攣でも起こすかと思ったほど、ほとんど泉ピン子を見たあと宮浮おいチャンと会ったぐらいの違いで、ショックを受けた。俺が嫌いなのは、今では姿を消した農林一号と茨城三号で、今の旨い薩摩芋ではない。 そんなわけで、嫌いなものが一つ減って良かったと思うだろうが、どっこい人生は悩み多く出来ている。 歳をとると、嫌いなモノや人がどんどん増えるのだ。俺の顔は渋くなったと言えば誉め過ぎで、実は醜く歪んで彫りが深くなった。楽しいことや好きなことでは、皺は伸びない。 |
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