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第107回 『嫌いな奴が増えて困った』 |
これはホームページだから書ける話だ。若い頃は好きな人や惚れる人の方が多かったのに、歳を取ると嫌いな奴、顔も見たくなければ声も聞きたくない奴が増える。 古稀を過ぎて出無精になった俺は、人との接触が驚くほど少なくなった。酒場にもレース場にも滅多に行かないし、仕事で会う人は限定されている。地上波のテレビは見ないし、朝日や読売といった大新聞は、肝腎なことは書かず、権力者への批判は避ける先天的な体質を持っているので、取ってはいるけど余程ヒマな時に見る程度だ。 それでもイヤな奴と嫌いな野郎は、日々増え続けて留まるところを知らない。 俺は権力に媚びる奴と、尊大で横柄な奴がヒグマやホホジロザメと同じぐらい嫌いだ。こんな人外は絶滅してしまえと、心の中で思っている。 女は、美しくなくて姿もよくなければ、ほとんど何の値打ちも無い。せめて心根が良いか余程の才能が無ければ、俺にはもはや無縁の衆生だ。 昔から俺は、男も女も、敵と味方、普通の人の三種類に分類しているのだが、歳を取って付き合いが少なくなると、味方が減って敵ばかり増える。 味方というのは、昨日今日の付き合いでは出来ない。互いに信頼を置けるようになるまで心を開くには、どうしたって時間が必要なのだ。でもこの歳になるとイヤな奴は瞬間的に分かる。 世の中の爺婆も俺と同じじゃないだろうか? 時間の流れ方が自分の体内時計と違う。言葉の使い方が違う。価値観が違う。流儀と習慣が違う。俺も含めて年寄りは被害妄想的なところが多分にあるが、いろんな瞬間に世間とのズレをひしひしと感じ、それが嫌悪や憎悪になる。そうしてひねくれ爺ぃや怒りんぼ爺ぃ、意地悪婆ぁや身勝手婆ぁになるのだ。 そして、これが本当に辛いトコなのだが、嫌いな奴を嫌いだと、顕わにするのが躊躇われるようになった。老い耄れた俺は、心がイジけて萎んでしまったのか。 十年くらい前まで俺は、勇気があったのか、あとさき考えないアホだったのか、いろんな媒体で嫌いな奴を名前をあげて罵ってきた。嫌いだと言ったり書いたりすれば、相手は必ず怒る。 |
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